町会の歴史

「堀江」の発祥

堀江は江戸時代に入って生まれた地名で、むしろ堀江は「難波の堀江」として古代大阪を代表する地名です。

現在私たちが住んでいる由緒ある堀江は、江戸時代前半まで水はけの悪い場所でほとんどは田畑でした。

元禄11年、河村瑞賢によって長堀川と道頓堀川の間に新川が掘られ堀江川と名付けられました。

堀江新町は花街と寄席、軽業などの見世物小屋や物売り店が並びどんどん発展して行きましたが、太平洋戦争にて戦火に見舞われ、その上西区は米軍の飛行 基地として占領されたため復興が遅れました。

その後、都市計画が推進され河川の埋め立てにより、現在では大阪でも最も整備された町となりました。

そして今、堀江は地域住民のパワーと創造力により活気ある街へと発展し続けているのです。

堀江川

堀江川は、堀江新地開発の際に開削された人口河川です。東の中央区との境にある阪神高速高架下にあった西横堀川と木津川を結ぶ全長約1,340mの川で9つの橋が架かっていました。

現在の堀江公園中央を東西に流れ、北堀江・南堀江との両岸には阿波特産の藍玉を扱う藍問屋が多く栄えていました。

この堀江川の北側添に位置するのが北堀江で、地番整理前は「○○通り○町会」と呼ばれ、1つ北の通りは「御池通り○町会」等の地名で呼ばれる町会分けがあり、 第14振興町会も以前は、「通り二町会」と呼ばれていました。

監修 菊池 廣

歴代町会長

初代町会長(通り二町会会長)

工藤 廣吉(昭和23年~昭和62年迄在職)
二代目町会長(第十四振興町会会長)

阿部 信行(昭和63年~平成9年3月末迄 現在=堀江連合振興町会相談役・堀江会館館長)
三代目町会長(第十四振興町会会長)

菊池 廣(平成9年~平成18年3月末迄 現在=堀江第14振興町会 相談役)
四代目町会長(第十四振興町会会長)

小池 俊雄(平成18年~平成28年3月末迄 現在=堀江連合振興町会副会長〈事業部長〉)
五代目町会長(第十四振興町会会長)

浅井 達也(平成28年4月1日 会長に就任)